![]() | 謎とき『大審問官』 (1990/04) 埴谷 雄高 商品詳細を見る |
Lunascape4からFirefox3へ乗り換えましたが、お気に入りの保存形式というのは全ブラウザ共通にしてほしいものですね。
埴谷雄高のこの本、例えば江川卓の『謎とき『罪と罰』』のように、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の大審問官のくだりを一冊まるまる考察にあてた本……ではありません。最初にドストエフスキーについての講演や文章をまとめ、あとは普通のエッセイを収録してます。
もちろん埴谷ファンにはたまりませんが。
よっぽどのバカでもないかぎり、人間には相反する心情があり、それを二重底と呼ぶなら、ドストエフスキーは七重底ぐらいいっているのではないかという埴谷雄高の指摘はドストエフスキーの面白さの秘密に独自の迫り方をしており、興味深いものです。
革命にしてからが、ドストエフスキーは今なお革命という名前で導き出されてしまったさまざまな問題を、そういう何重にも屈折した人間の精神の綾から描き出すことに成功した。
この本で知ったことですが、ドストエフスキー本人はわりと単純な奴で、せいぜいが二重底ぐらいだったそうです。
なのに、小説の宇宙のなかでは、こうした奇蹟が起きてしまう。かび臭い、青臭いニュアンスがつきまとってしまった言葉ですが、やはり文学だけがなしえることがある、少なく見積もってもそれがかつてあった、ということは、なにか希望に思えますね。
しかし、浜松美術館の階段をよろよろ降りてきて、ガラスの向こうに同行の藤枝静男らがいるのでそのまま歩いて(自動ドアと勘違いして)、ただのガラスに思いっきりぶつかって倒れたとか、埴谷雄高もスケールがでかい……。








































